01.白兎神社の紹介
祭神:白兎神、保食神、豊玉比売
祭祀:例祭4月17日(近い日曜日)
社紋:亀甲に剣花角
本殿:大社造変形
神話「因幡の白うさぎ」で有名な白兎神社は古事記・日本書紀に記されている由緒の明らかな神社です。
御祭神は白兎神(はくとかみ)を主祭神とし保食神(うけもちのかみ)、豊玉比売(とよたまひめ)を合祀しています。
豊玉比売は気多ノ前(けたのさき)の神ヶ岩にある川下神社を大正元年に合祀したものです。
縁結び、皮膚病、傷病に霊験がたかく、古事記では、「稲羽之素菟」と記されています。
大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上比売(やかみひめ)との縁を取りもたれた縁結びの神社でもあります。
白兎神:古事記の中の「稲羽之素菟」に登場する「しろうさぎ」で、縁結び・皮膚病平癒の神です。
保食神:日本書記に登場する穀物の神です。
豊玉姫:海神・大綿津見神の娘で、山幸彦の妻でもあり、初代神武天皇の祖母となる、安産・海の神です。
神話「因幡の白うさぎ」の中で、大国主命は、「真水で全身を洗って蒲の穂を敷いた上に寝転べば治る」と治療法を教えました。
その方法で傷が癒えたそうです。
さらに右手には、言語学者の北里闌(たけし)氏の詠んだ歌碑が奉納されています。
言語学者の北里闌氏(明治3年~昭和35年)は、昭和5年の宮中歌会始の勅題「海辺の巌」に、気多ノ前(けたのさき)の情景を詠んだ和歌を詠進、入賞の栄誉を受けられました。
この歌碑は、それを記念して気多ノ前に建立され、その後昭和61年に現在の白兎神社参道に移設奉納されました。
2011年(平成23年)のうさぎ年に合わせて完成した砂像です。
大国主命が八上比売にプロポーズして白うさぎが見守っている光景です。
神話「因幡の白うさぎ」は、大国主命と八上比売が白うさぎの導きによって結ばれる、日本で最初のラブストーリーなのです。
製作:鳥取砂のルネッサンス実行委員会・花井健太氏(陶芸家[花輪窯])
2023年(令和5年)のうさぎ年に合わせてリニューアルされました。
大国主命と八上比売が良縁を運ぶ白うさぎを優しく見守る、とても温かみのある作品です。
参道の両脇にある石造灯篭の上ではうさぎの像が皆様をお出迎えしています。
かわいらしいうさぎの姿をお楽しみください。
御身洗池の神社側は、砂丘地(砂地)になっています。
池の水が神社側に流れ、砂丘地に吸い込まれる事で沈下現象がおこります。
神話「因幡の白うさぎ」に登場する白うさぎ像、大黒様の大きな袋から手水が流れ出ています。
神話にある白兎神が、傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したと伝えられる霊池です。
往古は内海池(内海は白兎の昔の地名でありそこにあった池)の流出口であったので水門と呼んでいました。
内海池が良田と化してから、わずかにこの池だけが残っています。
古代の頃はこの近くまで海が迫っており、河口近くにあった池も現在は常緑樹に覆われ濁りのある小池となりましたが神話を今に伝える池です。
また、この池は雨が降っても降らなくても水位の増減がないとされる為、「不増不減の池」とも呼ばている不思議な池でもあります。
神社は往古兵乱に遭い、祠廟古書など消失し、創建は明らかではありませんが現在の神社は、慶長年間に鹿野城主・亀井武蔵守茲矩公が再興されたものとされています。
白兎神社社殿周り「犬走り」の整備が2022年(令和4年)5月に行われました。
「犬走り」とは、建物等の周囲に設けられる通路状の空き地の事で、建物等を保護するためにその周りの地盤を砂利などで固めたものです。
その前は、平成26年12月20日に新調をしました。
白兎神社のしめ縄は、
【飯南町注連縄企業組合】の皆さんに作製をしていただきました。
白兎神社の本殿は明治29年に建立され、平成24年に改修を終えました。
白兎神を祀っています。
本殿を支える土台(六ヶ所)には、菊の紋章が彫刻(二十八弁)してあります。
近郷の社はもちろん、全国的にも珍しく、神社創設が皇室と何らかの関係があったものと云われています。
白兎神社の狛犬は、向かって右方に獅子(口を開き玉を踏む)、左方に狛犬(口を閉じる)は、拝殿の方向に顔を向け、尾を上向きにし今にも飛びかかりそうな印象もあります。
白兎神を守っているのかもしれません。
白兎神社の西側に広がる常緑広葉樹は天然記念物に指定されています。
クロキ、タブノキ、シイノキ、ヤブニッケイ、トビラ、モチノキ、カクレミノなどの樹木が自生しています。
お札、お守りの授与、御祈祷の申し込みを承っています。
※古い御札やお守りは社務所にお納めください。
休憩所スペースにもなっています。
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