ハマナス自生南限地・・3月31日・・
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今日は、東京都足立区に来ています。

天長3年(826年)弘法大師の創建と伝わる、五智山遍照院總持寺と呼ばれる真言宗豊山派のお寺です。
弘法大師(空海)が関東巡錫(じゅんしゃく )の折、この地に立ち寄り悪疫流行になやむ村人たちを救わんと、御自ら十一面観音像とご自身の像をお彫りになり、観音像を本尊にそしてご自身の像を枯れ井戸に安置して二十一日間の護摩祈願をおこなうと、清らかな水が湧き、病はたちどころに平癒したと伝えられます。
ご本尊の十一面観音と弘法大師がお祀りされています。
一見、三重塔に見えますが、江戸時代に流行した三匝堂で、俗に栄螺堂(さざえどう)と言われる仏堂の一形式です。(案内版より)
ここに安置される地蔵菩薩は、江戸時代より特にいぼ取りその他に霊験ありと伝えられお堂内の塩をいただきその功徳あるとき、倍の塩をお返しすることから塩地蔵と申し諸人の信仰盛んなり。(案内版より)
西新井の地名の由来となった井戸です。
弘法大師によってもたらされたとされる加持水の井戸が本堂の西側に所在することから西新井の名の由来とされているそうです。
お大師さま(弘法大師)とゆかり深いお寺です。
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今日は東京都台東区上野に来ています。
上野の寛永寺を中心に歩いてみました。
寛永寺は、1625年に慈眼大師天海大僧正によって創建された、天台宗別格大本山の寺院です。
徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立しました。
山号は東の比叡山という意味で東叡山とされました。
天海大僧正が琵琶湖竹生島になぞらえて、寛永年間に不忍池に中之島を築き、その地に建立されました。
1631年に初建され、現在の塔は1639に再建されました。(国指定重文)
上野にあった大仏様は関東大震災によりお首が落ち、第二次大戦時には軍の供出令(により胴体を徴用されて、お顔のみが残されたそうです。
関東大震災、第二次世界大戦も知らない世代ですが、このように後世に残していただいていますと、今の世の中大切にしなければと思うばかりです。
京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂で、寛永八年(1631)天海大僧正により建立されたと云われます。
東叡山(寛永寺)の開山である慈眼大師天海大僧正をお祀りしているお堂です。
そして寛永寺根本中堂です。

旧本堂(根本中堂)は、現在の東京国立博物館前の噴水池あたりにあったそうですが、慶応4年彰義隊の兵火で焼失されたとあります。

そのため、明治9年から12年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂が移築され寛永寺の本堂となったそうです。(案内板より)

寛永寺の根本中堂は、上野公園から少し離れていることもあり、訪れる方も少なく、ひっそりとし、当時を思い偲ばせるような雰囲気でした。
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今日は、千葉県の一宮町に来ています。

駅から500nほど歩いて、
訪れたのは、上総国一ノ宮「玉前神社(たまさきじんじゃ)」です。

玉依姫は海神・綿津見神の娘で、姉の豊玉姫と夫である山幸彦の間に生まれた鵜萱葺不合命を養育されました。
玉依姫は鵜萱葺不合命と結婚され誕生されたのが初代天皇の神武天皇です。
雄株(右)と雌株(左)の真中に実生(みしょう)の子どもいちょうが育っています。
雄株→雌株→こどもの順に両手で触れて子宝を願うとよいと言われています(案内板より)

さざれ石が奉納されてあります。
社殿前の朱塗りの鳥居。
玉前神社の社殿は平成の大修理が行なわれていました。

改修中でありますが、社殿は本殿・幣殿・拝殿がつながった権現造です。

御本殿の後ろです。
ご神木の「いす」通称:なんじゃもんじゃの木と神楽殿。
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